合成洗剤または石けんを好きになるか嫌いになるかは自由であり、その好き嫌いを述べたところで表現の度合いが適切であれば第三者にとやかく言われる筋合いはありません。しかし、第三者に影響を及ぼすことが予想される事実関係に関する情報発信では、相応の責任が伴ってきます。合成洗剤を否定する情報が全て抑え付けられるべきだという訳ではありませんが、否定する以上はその理由・目的を明確にすることが望まれます。特に、情報発信の動機は情報の受け手にとって価値ある情報になります。
合成洗剤等の合成化学商品群を否定する意見の動機には、営利活動や団体・組織としての社会的動機と、個人的動機に分けられます。また個人の心情的動機としても、科学技術文明批判の一環としてのグローバルな視点からの動機、合成洗剤に限定された情報を元とした動機などに分けられます。それぞれの動機によって、求められる責任、リスクが異なります。そこで、合成洗剤を否定する情報について発信者の動機から分類し、それぞれの特徴と今後の課題について見ていきたいと思います。
[社会的動機]
社会的動機は、個人の心情的なものよりも絶対的なものであり、そのレベルで発信された合成洗剤批判情報に対して、科学的な説明はあまり意味を持ちません。合成洗剤を否定することによって自社製品の安全性を誇張して自社製品のサポーターを作り出して営利活動が成立しているのですから、滅多な事で合成洗剤否定の立場を変えることなどできません。その方針の変更は、その営利活動自体の崩壊を意味することにも直結します。この厳しい競争社会の中で、生き残りをかけての必死の戦略として自社製品の販売促進法を考えての結果です。
また、消費者団体等の多くも、合成洗剤否定の立場を変えることが組織として困難であるという点では営利企業と同レベルです。消費者団体には、主要な目標の一つとして合成洗剤追放を掲げてきたところも多く、今までその方針に賛同するものによって組織が支えられてきているのですから、これもまた合成洗剤否定の立場を簡単に変えることなどできません。合成洗剤を否定することを主目標に掲げ、合成洗剤否定を示す団体名称になっている組織もあり、そういう団体は合成洗剤否定の立場を破棄すれば、その存在意義が消滅します。
これらの社会的動機からの合成洗剤批判は、当然それだけ多くのリスクを伴います。企業、組織として情報を発信するのですから、相応の科学的根拠をもった情報発信が期待され、誤った情報には相応の責任が問われることになります。仮にも洗剤関連の商品を扱う立場であるなら、洗剤に関する科学的知識を備えていることが要求されるのは当然ですし、世論に訴えて何らかの流れを作り出そうとする団体にも同レベルの科学的根拠が求められます。
このレベルからの非科学的で問題のある情報発信は、大変な重みのある問題であることを認識しておく必要があります。今後、環境・安全に関連する消費者情報はどうあるべきかを考え、改善のための取り組み、新たな教育等の試みがなされることになるでしょうが、その際の悪質情報の代表的事例としての取り扱いを受けることを覚悟しておくべきです。
なお、消費者団体等では、合成洗剤をはじめ、他の食品添加物、その他の分野についてもやや偏りの強い方針をとってきたことを反省し、より冷静な視点から今後の社会の中の「消費者の科学的な視点の中心組織」として活動するように方向転換を図るところが増えてきました。消費者団体がわざわざ積極的に合成洗剤を擁護する必要などさらさらありませんが、より科学的な知識・判断を団体の活動方針にフィードバックする姿勢が求められるので、「非科学的」との非難を受けないように理論武装することが必要条件になります。過去の経緯もあり、すんなりとはいきがたい部分もあるでしょうが、非科学的情報から脱皮しようとする姿勢がみられ、非常に好ましい傾向だと思われます。
[個人的動機1:科学技術文明批判]
さて、個人レベルの動機で合成洗剤を否定する情報を発信している場合、まず、その問題意識の次元を自身で認識することが求められます。第一に、科学技術文明の批判の一環として合成洗剤に否定的立場をとっているのか、または科学技術文明を批判するといったこととは関係なく合成洗剤を否定するのかという点を明確にする必要があります。
科学技術文明の批判とは、科学技術文明によって人間らしい生活が崩れてしまったと考え、新たな科学技術至上主義的な考え方に反対し、昔からの生活を大切にする考え方です。日本では江戸時代の生活等を理想的であると考えるパターンが、この科学技術文明批判型の考え方に相当します。化学分野であれば合成化合物には反対し、天然物を支持します。石けんは天然物ではありませんが、古くからあったもので、科学技術の産物とはいいがたいものですから天然物に準じたものであると考えます。
この科学技術文明批判に根ざした合成洗剤批判は、しばしば洗剤関連情報のコミュニケーションにおいて大きな混乱原因になります。通常、合成洗剤の是非をめぐる論争は、合成洗剤の有害性に関する根拠の一つ一つを検証し、科学的な判断を求めることになるのですが、科学文明批判型の合成洗剤批判の考え方では、それらの個別の情報を受けても最終的な意思決定には影響を与えません。科学的な正否はともかく、「疑いをもたれるような化学物質は排除されるべきだ」との主張が成立してしまうのです。
私自身が洗剤論争に関連する情報を収集・分析する中で、非常に科学的レベルの低い合成洗剤批判論を提出する人の中に、その情報に不相応な研究者等の立場の人がいることに注目しました。それらの人々は、誤情報の発信に対してほとんど罪悪感を抱いていない様子です。これらは上記の科学文明批判型思考による言動であると考えられます。事実、それらのタイプの合成洗剤批判論者とは個別事象についての科学的な論争は成立しません。その人たちにとっては、科学的な正しさというものには意味がなく、現代の科学文明に対して疑問を投げかける行為自体に大きな意味があり、合成洗剤批判などはそのひとつの手段にしか過ぎません。
しかし、この科学技術文明批判に根ざした合成洗剤否定論には大きな問題があります。この科学技術文明批判に根ざした化学物質批判は、一般には科学技術文明批判に基づく主張であることを明示しない傾向にあります。本来は、根本的な部分、科学技術文明全般の是非について論議すべきところ、個別の論議を展開しようとします。根本的な論議になると、江戸時代型生活を理想とする科学技術文明批判論はどうしようもない壁にぶち当たります。「60億人を超える世界人口を、科学技術抜きでどう支えるのですか。」、「世界の人口が多すぎると簡単に言いますが、具体的に人口を減らす政策はどのようなものですか。」、「現在のグローバルな自由経済主義社会の中で、その理想論に実効性があるのですか。」などの反撃を受ければひとたまりもなく、単純な科学技術文明批判は実社会への適応性はほとんどないことは明らかです。
一方で、合成洗剤批判などの個別の論点での科学技術批判には上位概念での逃げ道が準備されているのですから、自身の良心・正義感等の気持ちの上でのリスクが伴いません。科学的に誤った合成洗剤有害説を唱え、その科学的な矛盾を指摘されたとしても、「人類に不幸を導いた科学技術の象徴である合成洗剤は、本来社会から追放されるべきものなのだ」との大前提の前では、非科学的情報発信による罪悪感などは完全に打ち消されてしまいます。そうかといって、真っ向から科学技術文明を批判して反科学技術文明主義を唱えることもできません。「科学技術文明批判」はその根本的な部分での主張を通すことは困難なのですが、逃げ道として使うには非常に都合の良い概念なのです。
以上のように、科学技術文明批判に基づいた合成洗剤批判は、結局は自己満足型のパフォーマンスでしかありません。このタイプの情報発信者の多くは正義感が強く、社会貢献等に価値観を持つ傾向にあるでしょうが、結果的には環境コミュニケーションの障害要因になっていることを認識すべきです。
[個人的動機2:科学技術文明批判ではないもの]
特に科学技術文明批判ではなく合成洗剤批判情報を発信する場合は、合成洗剤に対して有害性を主張する情報を受け入れて、合成洗剤に対する問題を意識したことが動機になっていることでしょう。基本的には軽い動機から情報が発信される場合が多いのですが、今後の環境学習や消費者学習にインターネットなどの新情報媒体が有効に生かされるか否かを決定するのも、このレベルの情報のあり方次第です。まず情報を発信する以上は、その情報に責任が伴うことを認識することが必要でしょう。専門的情報にもアクセスしておくことが要求される洗剤、石けん関連の企業や団体による情報発信とは別次元とみなせるでしょうが、間違った情報を広めるのに加担するのは決して好ましくはありません。
理化学系情報の扱い方の基本をマスターし、より正確な知識に基づく情報発信に取り組む姿勢が求められます。合成洗剤の有害性を主張する情報の大部分は、科学的な正確さ、すなわち根拠として用いた情報源に問題があります。合成洗剤v.s.石けん論争に関連して、過去に様々な経緯があります。1960年頃より合成洗剤有害論が発表された後、学者、消費者団体、そして政党をも巻き込んだ種々の論争が長く展開されてきました。そして、結果として「合成洗剤と石けんは一長一短でその良否は一概に判断しがたいが、どちらも適切に使用することが望まれる」との考え方が専門家レベル、行政レベル、また科学志向の消費者レベルでは一般的に支持されるようになっています。
しかし、インターネット上の情報を眺めてみると、石けん販売目的の営利企業サイトからの合成洗剤批判情報をはじめとして、一般消費者レベルからの情報も多くは合成洗剤批判情報が占めています。インターネットだけではなく、一般書籍で得られる情報も、専門家レベルの情報とは異なる合成洗剤有害説が多々見られます。すなわち、専門家レベルの情報と消費者レベルの情報との間で情報の流れが断絶状態になっているのです。そのような状況下で得られた情報を元に判断して、専門家レベルでは否定されるべき情報が数多く発信されているのです。
このレベルに属する情報発信者には、ここで示す情報などを参考に、科学的に物事を判断する手法、より正確な情報を発信する手法等について考えていただき、今後とも消費者にとってより良い情報環境形成のために協力していただきたいと思います。