洗浄の「酸・アルカリ中和説」の注意点 (ver.20160714A)

ここで「酸・アルカリ中和説」と呼んでいるのは、掃除や洗濯等のテクニックを説明する際に理屈としてよく用いられているものです。無機物系の金属汚れには酸の洗浄剤が適しており、動植物油脂や蛋白質などの有機物系の汚れにはアルカリの洗浄剤が適しているという傾向が洗浄の分野では常識とされていますが、最近は無機物の金属汚れをアルカリ性の汚れ、油脂系の有機物汚れを酸性の汚れと呼んで、アルカリ性汚れは酸で中和、酸性汚れはアルカリで中和して除去するという表現がよく用いられるようになって来ました。

酸とアルカリの中和ということで非常に分かりやすい表現なのですが、実は化学の世界でいう「中和」とは異なるメカニズムで多くの汚れは除去されています。何より、金属汚れをアルカリ性の汚れ、油脂系汚れを酸性の汚れと呼ぶのも科学的には誤りで、酸とアルカリのどちらを使えばよいかを分かりやすくするための俗称としての意味合いで捉えるべきです。実際、汚れの酸・アルカリ度合いを測定すると、酸性でもアルカリ性でもないものが大部分を占めます。

最近では洗浄における「酸とアルカリの中和」という表現があちこちの場面で混乱の原因になることもあるようです。中和というのは化学の世界では非常に重要な項目であり、中高生等に誤った知識が広がって、不利益を被ることなどがあっては困りますし、また実際に「科学的な理屈だ」として信じるようになっている方も多くなってきたようです。そこで本稿では、洗浄における酸とアルカリについて整理して、どのように考えればよいかを説明したいと思います。

《以下文章の目次》
【1】関連用語の整理
【2】水は中性なのに塩基?
【3】アルカリで油汚れを落とす仕組み
【4】酸で金属汚れを落とす仕組み
【5】酸・アルカリ洗浄理解の注意点


【1】 酸・アルカリ洗浄の関連用語の整理
 まずは酸、アルカリに関連する用語の整理です。化学にあまりなじみのない方が混同しやすい「酸」と「酸化」の関係、また同様の意味合いのように見えて実は違いのある「アルカリ」と「塩基」、そして酸性・アルカリ性の度合いを表す「pH」について整理します。

(1) 酸と酸化[初級編]
洗浄における酸やアルカリの効果を論じる際に、しばしば酸と酸化の関係についての混乱によって誤解が生じています。「酸は酸化剤」や「酸の効果は酸化作用による」などの誤解です。しかし、酸と酸化は別物です。ザックリと表現すると、酸とは水素イオンを放出する物質のことで、酸化とは酸素原子を与えること反応のことを指し、関連する元素が水素と酸素で全く異なります。

具体的には、硝酸は代表的な酸ですが酸化剤でもありますが、シュウ酸という物質は酸ですが還元剤として働きます。塩酸や酢酸などは、そのままでは特に酸化剤や還元剤とは見なされない酸です。

酸は塩基或いはアルカリの対になる用語で、関連用語としては酸性、塩基性、アルカリ性などがあります。一方、酸化の対になる用語は還元であり、関連用語には酸化剤や還元剤があります。もともと酸性物質に酸素が含まれていることが多かったことより、酸の性質は酸素由来だという誤解に基づくドイツ化学用語に起因して日本語でも同様に命名されたもので、「酸っぱい」という酸の性質と、「酸素」による「酸化」に同じ「酸」が使われています。英語では酸のacidと酸化のoxdationとで全く異なる用語になっています。

酸と酸化は同じ「酸」が使われていますが、全然別次元のものなのだと理解して、混同しないように注意してください。でも、中には電子の移動に関連して、実は酸と酸化は密接に繋がっているのではないかと考える方もおられるかもしれません。そういう方は後述する[上級編]をご覧ください。

(2)アルカリと塩基
  アルカリと塩基もその区別が難しい言葉に挙げられます。どちらも酸に対応する用語ですが、高等学校や大学での基礎化学分野では塩基が主に用いられますが、生活科学の分野や家庭の知恵などに用いられるのは主としてアルカリです。その違いは塩基というのが非常に幅広い範囲をカバーするのに対して、アルカリは塩基性の水溶液を念頭に置いた用語で、特にその液性についてpHが高い値を示す(アルカリ性である)ことに関連した意味で用いられます。

  注意すべきは、塩基は必ずしも酸-アルカリの度合いに関する使い方だけではないという点です。たとえば有機化学の分野では酸・塩基反応は最重要の概念の一つですが、これは、物質Aは自分の電子2個を外部に曝け出している状態で、物質Bは電子2個を受け入れることのできる空スペースがある状態で、その両者が電子対を与える・受け入れるという関係で結合して反応が進んでいくというものです。この反応の中で、電子対を与える側の物質Aが塩基、電子対を受け取る物質Bが酸と呼ばれます。このように反応時の電子対のやり取りで酸と塩基を定義する方法をルイスの定義と呼び、それぞれの酸と塩基はルイス酸、ルイス塩基と呼ばれます。

pHメータを用いて溶液の液性が酸性・アルカリ性のどちらかを判断するレベルから考えると、なぜそのような小難しい定義があるのか疑問に思われますが、化学の世界ではこの定義のおかげで化学反応を理論的に整理する方法が一挙に進展したのです。

この様に酸、塩基、アルカリといった用語については異なるレベルの捉え方があるということを知っておく必要があります。定義によって、塩基は必ずしもpHが高くはないという点が重要です。

(3)pHとは
pHは酸とアルカリの度合いを示す指標です。中性のpHは7で酸性になると値が小さくなり、アルカリ性(塩基性)になると値が大きくなります。洗剤類を例にとると、実際の使用場面での洗剤液のpHが6から8の間に納まる洗剤が中性洗剤、pHが8~11未満が弱アルカリ性、11以上がアルカリ性、3~6が弱酸性、3以下が酸性として区分されます。

注意すべき点は、pHが1変わると、酸やアルカリの成分の濃度が10倍変化するということです。たとえば同じ弱アルカリ性(近辺)といってもpH8とpH11ではアルカリの成分の量は10の3乗、つまり1000倍の開きがあるということになります。実際の計算式は次のように表されます。

 pH = -log[H+]

[H+]は水素イオンの濃度を表します。つまりpHとは、水素イオンの濃度の対数にマイナスを付けたものです。対数なんて高校時代以降使ったことがなく忘れてしまったという人も多くいらっしゃると思いますが、10倍変化すると1だけ変化するようにアレンジした関数だという事を思い出してください。

理科系出身の人でも時々勘違いしてしまうようですが、pHの最小値と最大値は0と14ではありません。ただ、実際に測定するためのpHメータやpH試験紙の測定範囲は、最大幅で0~14となっているものが多いのです。これはpHが0や14付近では酸やアルカリの成分の濃度とpHとの関係が崩れ、測定値にあまり意味がなくなってしまうためです。但し、マイナスのpHや14を越えるpHもあり得ることは確かです。

なお、中性がpH7というのは25℃の時のことで、温度が上がると中性のpHはやや小さくなります。もともとpH7というのは、25℃の水素イオンの濃度[H+]と水酸化物イオンの濃度[OH-]を掛け合わせた値(水のイオン積とよばれる)が10の14乗であるという規則性に基づくものです。温度が変わるとこの数値が変わってしまい、また濃度が高くなったり、食塩などの塩類が多量に加えられると、水のイオン積だけでなく、その他の条件も変わってしまいます。pHについて、より正確に論じる際、温度や溶解塩類の状態など、その溶液の条件がどのようなものかをチェックしておく必要があります。

 
【2】 水は中性なのに塩基?
以上のように、酸、塩基およびアルカリに関する基本事項を整理しましたが、これらの事項を扱う際には、pHに関連する酸性・アルカリ性(塩基性)の度合いと、酸・塩基反応の酸と塩基の関係という2つの側面を分けて考えることが望まれます。例えば、次の事例をもとに考えてみると分かりやすいと思います。純粋な水は酸性・アルカリ性の度合い、つまりpHからみると中性なのですが、酸・塩基反応の中では塩基として作用するというものです。自然界の水は二酸化炭素が溶け込んで若干酸性側に偏るものなのですが、二酸化炭素の溶け込んでいない純粋な水はpHが7(25℃)の中性になります。しかし、興味深いことに、水は下記の水素イオンとの酸・塩基反応で塩基として作用するのです。

 H+ + H2O → H3O+

 水素イオンはそのままでは不安定なので、水分子H2Oと結合してヒドロニウムイオン(H3O+)という状態になります。その際、水素イオンは本来有している電子一つを放り出して、電子を有していない陽子一つの状態になっています。電子を有していないで、電子の受け皿だけを持っている状態なので、ルイス酸です。水分子は一つの酸素原子と二つの水素原子が結合した状態です。水分子の中の水素は酸素との間で電子を一つずつ出し合う共有結合という化学結合で安定になっていますが、酸素原子には水素との結合に使った2つの電子以外に、4つの電子が余っています。水分子としては安定なのですが、酸素原子には2組の電子対(2個の電子が対になって外部にさらけ出された状態)を有しています。

すると電子対を受け取りやすい水素イオンと電子対を与えやすい水分子の中の酸素原子が結合して、ヒドロニウムイオンが出来上がるというわけです。この際、水分子は立派なルイス塩基として働いたことになります。よって、この反応において水は塩基だと呼ぶことができる訳です。でも水はアルカリ性ではありません。より一般的な表現を用いるならば、「水は塩基だけれどもアルカリ性ではない」ということができるでしょう。

仮に、上記の水分子が汚れであったと仮定しましょう。上記の反応で水分子汚れが除去できたと想定するのです。するとこの場合、「水はアルカリ性の汚れだから酸で落ちる」と表現できるでしょうか?それは、やはりダメですね。アルカリにはpHの高い水溶液、或いは水に溶かすとpHの高い水溶液になる物質という意味が含まれていますので、水をアルカリだと呼んだり、水をアルカリ性の物質だと表現することは許されません。これと同様の混乱が、洗浄の酸・アルカリ中和説の中にしばしば見られます。

なお、水は上記のように塩基性の性質を有するとともに、実際には酸としての性質も有しています。相手方によって酸・塩基反応のどちらにもなり得るのです。上記の説明は、あくまで電子対を与える・受け取るの関係の酸・塩基反応のどちらに相当するかの酸と塩基の定義と、水溶液のpHとの違いを説明することを目的とした文章です。「水は塩基」というのはごく限られた条件でのことですのでご注意ください。

【3】 アルカリで油を落とす仕組み
洗浄の「酸・アルカリ中和説」では、油は酸性汚れだからアルカリで中和すればよいと説明されます。この説、一部分は合っていますが大部分が間違っています。その間違いの元は「油は酸性の汚れ」という部分に起因します。

 (1) 油の種類
油と一言でいっても、実は様々な種類のものが存在します。洗浄の場合に重要なものとしては、①動植物油脂、②脂肪酸、③鉱油系炭化水素といったものが挙げられるでしょう。

 ① 動植物油脂
てんぷら油やサラダ油、ラードやヘッドなどの動植物の油脂・脂肪分を指します。化学の世界ではトリグリセリドと呼ばれ、より正確にはトリアシルグリセロールと呼ばれます。洗浄関連では食品汚れの中の油汚れがこの部類に属します。健康関連の分野では、体内に存在するこの成分を中性脂肪と呼んでいます。酸性、アルカリ性の尺度で分類すると中性に属することになります。

 ② 脂肪酸
脂肪酸は油脂が分解して生成される油性成分です。油脂は3つの脂肪酸と1つのグリセリンが結合したものです。この脂肪酸は皮脂汚れの中に多く含まれています。皮脂汚れの油成分の中の約1/3(非常に大雑把な見積もりですが)を脂肪酸が占めており、その他に約1/3がトリグリセリド、約1/3がコレステロールや炭化水素などの脂肪酸とトリグリセリド以外の油成分が占めていると考えて頂ければよいと思います。

 ③ 鉱油系炭化水素
炭素と水素から成る化合物を炭化水素と呼びますが、炭化水素汚れは機械油などの主成分です。主に石油から取り出されるもので、その性質は石油の性質を受け継いでおり、非常に水に混ざり合いにくいのが特徴です。化学的な反応も起きにくいので漂白剤も効きにくく、衣類に付着した場合ちょっと厄介な汚れになってしまいます。

(2)酸性の油は脂肪酸
上記の中で、酸性汚れと言う事のできる汚れは脂肪酸だけです。脂肪酸はアルカリ成分と接触すると、直ちに石けんに変わってしまいます。現在流通している大部分の石けんはこの反応を利用して製造されていますが、この反応は中和反応と呼ばれます。よって、油汚れの中の脂肪酸汚れにアルカリを作用させると、脂肪酸は石けんに変わってしまいます。脂肪酸は水に溶けにくいのですが、石けんになると非常に水に溶けやすくなるため、簡単に除去できるようになります。たとえば、脂肪酸汚れには炭酸ナトリウムやセスキ炭酸ナトリウムは勿論のこと、重曹のような弱いアルカリ剤でも石けんに変わってしまい除去が容易になります。この脂肪酸をアルカリで除去するという操作は、まさに酸性の油汚れをアルカリで中和して除去するという説明に合致します。

しかし、この脂肪酸汚れが含まれているのは皮脂汚れ程度です。油脂・脂肪汚れの中にも僅かに含まれてはいますが、量的に無視できる程度のものです。台所の油汚れとして問題になる食用油には殆ど含まれていないと考えたほうが妥当です。

洗浄の「酸・アルカリ中和説」での油汚れといえば、主として台所の食用油等が対象としてよく取り上げられていますが、これらは中和反応で落ちる油ではないのです。中和反応とそうではないものとの違いですが、酸をアルカリで中和してやる反応であれば、弱いアルカリでも量的に十分なアルカリを作用させれば反応が進みます。しかし、中和ではない反応の場合、弱いアルカリでは反応が起こらず、反応を進めるためには強いアルカリが必要だといった場面があるのです。

(3)油脂・脂肪汚れの除去
動植物油脂であるトリグリセリドに対するアルカリの効果は脂肪酸に対する中和反応とは大きく異なるものとなります。具体的には、アルカリの中でも、水酸化ナトリウムや水酸化カリウムなどの強いアルカリ剤では反応が進みますが、重曹やセスキ炭酸ソーダなどの弱いアルカリ剤では反応がほとんど進みません。トリグリセリドにはエステル結合と呼ばれる部分があるのですが、強いアルカリを作用させると、この結合が切れて加水分解と呼ばれる反応が進むのです。

水酸化ナトリウム等の強いアルカリを動植物油脂に反応させると、石けんとグリセリンが生成されますが、この時の化学反応はケン化(鹸化)と呼ばれるものです。石けん製造のための古くから存在する技術ですが、エネルギー効率の悪さから、最近では中和法が主流になっています。

強いアルカリ洗剤の主な目的の一つが、しつこい油汚れをこのケン化反応を利用して除去しようというものです。古くなった油汚れは、油同士が横つながりの結合が生じてしまい、かたくなって除去が困難になりますが、内部に存在するエステル結合を強アルカリで切断してやると簡単に除去できるようになります。

実際、トリグリセリドは強い酸性条件下でも分解されます。エステル結合の中の炭素に、電子対を有していない空の軌道があります。つまり、トリグリセリドは酸・塩基反応のルイス酸として作用する構造を持っています。強いアルカリ性条件下では、水酸化物イオンが電子対を与えるルイス塩基として作用し、酸塩基反応が進行することになってケン化が進みます。一方、強い酸性条件化では水分子が電子対を与えるルイス塩基として作用します。但し、酸性条件下ではエステル結合が分解する反応とエステル結合が形成される反応のどちらもが起こり得るので、たっぷりの水分子を供給してやることによって分解の反応が進むことになります。

いずれにしましても、油脂・脂肪(トリグリセリド)は強いアルカリによって分解されますが、これは中和反応ではありません。また油脂・脂肪自体も酸性の物質ではありません。この背景を知っておくと、弱いアルカリである重曹には油脂汚れを除去する力が非常に弱い点等を理解することができます。

(4) 炭化水素系汚れにはアルカリの効果は期待できない
鉱油系の炭化水素汚れにはアルカリ剤の効果は殆ど期待できません。鉱油系汚れの除去にはベンジンなどの有機溶剤を用いるか、或いは界面活性剤を濃度の高い状態で用いてやるなどの対処法が求められます。もともと「酸・アルカリ中和説」の油汚れには含まれていないのかもしれませんが、油の中にも酸やアルカリの効果が期待できない油汚れもあるのだということは知っておく必要があるでしょう。

また、炭化水素汚れは除去しにくい汚れだと言いましたが、実はケースバイケースで状況は大きく変わります。機械油といってもサラサラタイプの油が硬質表面に付着している場合、水のスプレーだけでも結構効率よく除去することが可能です。衣類に付着したサラサラの機械油も、素材が木綿やレーヨンなどであれば濃い洗剤を付けて揉んでやると比較的簡単に除去できます。

但し、グリース状になると非常に厄介な汚れになります。グリースは鉱油と金属石けん(石けんとカルシウムイオンを反応させたもの)を混合したもの等が良く用いられていますが、これには水系洗浄ではお手上げ状態になります。界面活性剤を使っても除去は困難です。有機溶剤+機械力で除去する等の手段が求められますが、当然これらの汚れにアルカリ剤や酸剤は効果が期待できません。

【4】 酸で金属汚れを落とす仕組み
 (1) カルシウム汚れや鉄さびはアルカリ性の汚れだから酸で中和する?
カルシウム汚れや鉄さび汚れは金属汚れと呼ばれ、一般に酸を用いて洗浄することが多いのですが、洗浄の「酸・アルカリ中和説」では、カルシウム汚れや鉄さび汚れはアルカリ性の汚れなので、酸で中和して除去すると説明されています。しかし、これも間違っています。pHの低い・高いで識別する酸とアルカリの中和であるなら、酸の種類に関係なく酸を作用させれば金属汚れは除去されるはずです。しかもpHの低い強い酸ほどその効果は強いはずです。

しかし、実際には金属汚れの除去の場合、pHの強い酸の除去力が強いとは言えません。汚れの種類によって適した酸は異なります。また処理した後、厄介な汚れが析出して問題が大きくなるといったこともあります。金属汚れ除去の酸の利用に関しては「中和」という考え方は放棄したほうが良いと思います。

(2) 酸の強さは関係無い?
まず、実際の酸の用途から見ていくこととしましょう。カルシウム汚れに対しては塩酸、酢酸、クエン酸などが適しており、鉄さび汚れには塩酸、シュウ酸、リン酸が適しています。塩酸はカルシウム汚れ、鉄さびともに効き目がありますが、これは酸の度合いが強いためでしょうか?それも一理ありますが、塩酸よりも強い酸である硫酸はどうかというと、鉄さび汚れに対してはそれなりの効果がありますが、カルシウム汚れに対しては全く効き目がありません。強い酸というのは、それだけ使用時も危険性が伴い洗浄対象をも傷つけるリスクが生じます。硫酸は、強酸だから非常に扱いにくいのにカルシウムを落とすことができない。ということで硫酸は洗浄剤の成分としてはあまり用いられていないのです。カルシウム汚れを取り除くことに関しては、弱酸である酢酸のほうが強酸である硫酸よりもずっと優れているということになり、単純な酸とアルカリの中和反応というロジックでは説明できない部分が非常に多いのです。

(3) カルシウムに強い酸
一般に水道水や地下水等の中にはカルシウムイオンとマグネシウムイオンが含まれますが、これらの含まれる割合を水の硬度といいます。炭酸カルシウム(CaCO3)換算での含有量をppm単位で表す場合が多く、たとえば50ppm未満が軟水、50~100ppmがやや軟水、100~200ppmがやや硬水、200ppm以上を硬水として分けることができます。日本の場合25~50ppm程度の軟水地域が多いのですが、欧州では300ppm程度の硬水地域が多くなっています。

これらのカルシウムイオンやマグネシウムイオンは2価の陽イオンですが、水に溶解している場合は炭酸水素塩としてCa(HCO3)2の形で存在する場合と硫酸塩CaSO4や塩化物CaCl2の形で存在すると考えれば分かりやすいです。これらの形が水に溶けやすい代表的なタイプなのです。しかし、炭酸水素塩は煮沸することによって水分子H2Oと二酸化炭素CO2が外れて、水に難溶性の炭酸カルシウムCaCO3に変化します。だから湯沸しポットでも白色の水垢汚れが付着しやすいのです。水周りでは同様の反応が時間をかけて起こって水垢の原因になっていると考えられます。

さて、この炭酸カルシウムや炭酸マグネシウム等の水垢汚れを除去する場合、塩酸や硝酸、スルファミン酸、酢酸、クエン酸、乳酸等が溶解力のある酸に挙げられます。基本的に、溶解後に生成される塩を予想し、その塩の溶解度が高ければ溶けやすくなると考えられます。塩酸が炭酸カルシウムを溶解する場合は塩化カルシウムが生成されるであろうが、その溶解性は非常に高いので溶解性に優れていると考えます。酢酸が炭酸カルシウムを溶解する場合も酢酸カルシウムが生成すると考えますが、酢酸カルシウムも水溶性が高いのです。一方、硫酸に溶解した場合に生じるであろうと予想される硫酸カルシウムは殆ど水に溶けません。だから、硫酸ではカルシウム汚れを除去できないと考えればよいのです。

これで、酸・アルカリ中和説ほどではなくても、多少はスッキリした気持ちになれるかもしれませんが、実はもっと複雑な要因があるため頭を悩ませます。それは、クエン酸を例にとれば分かりやすくなるでしょう。クエン酸はカルシウム汚れを溶解しやすいのですが、反応して生成するであろうと予想されるクエン酸カルシウムはきわめて水に溶けにくい性質があります。これが起因して、実際の家庭での水垢の処理において問題を生じる場合があります。

クエン酸は一時的にはカルシウム汚れやマグネシウム汚れを溶解することができるのですが、そのまま放置すると水に溶けにくいクエン酸カルシウムに変化してしまい、かえって厄介な汚れになるのです。たとえば、シンクやガラスなどにクエン酸粉末をふりかけて、一晩放置してから水洗いをしようとすると、白いくもりができてしまってぜんぜん除去できないなどの事故が生じる場合があるようです。クエン酸を用いる場合は処理した後、速やかに水ですすぐということが大切です。個人的には、臭いを我慢して酢を用いるほうが好ましいと思います。

(4) 鉄さびに強い酸
鉄さび汚れはオキシ水酸化鉄(Ⅲ)と呼ばれる鉄の酸化物が主体の成分になっています。鉄には2価の鉄イオンFe(Ⅱ)と3価の鉄イオンFe(Ⅲ)がありますが、前者は水溶性が大きく、後者は水溶性に劣ります。一般には2価の鉄イオンとして水に溶解していますが、空気中の酸素に触れて酸化されると3価の鉄イオンになります。3価の鉄は赤っぽくなるので水周りでは赤錆ができやすくなります。特に少量の水がちょろちょろと流れる水周りや、或いは少量の水が流れる小川等では水の流れの部分が赤っぽく変色している場面に出くわすことがあります。これは、水中に溶解している2価の鉄が、空気中の酸素に触れて酸化され水に不溶性の3価の鉄になり析出したものと考えられます。

これらの鉄さびに強い酸としては、塩酸、硝酸、シュウ酸、リン酸などが挙げられます。塩酸と硝酸は別として、カルシウム汚れの場合とメンバーがかなり入れ替わっています。酢酸やクエン酸等は鉄さびにはあまり向きません。一方でシュウ酸などはカルシウムに反応すると水に溶けにくい針状結晶で毒性のあるシュウ酸カルシウムに変化するのでカルシウム対策には使ってはいけません。

鉄さび汚れは水道管内等の汚れが重要になるのですが、今のところ決め手となる酸洗浄剤は見当たりません。塩酸や硝酸は強酸なので取り扱いに注意が必要ですし、シュウ酸も劇物扱いです。リン酸は安全性において比較的優れていますが、リンの成分が水環境中では環境汚染物質としてみなされるので排液処理が大変です。リンは湖沼等の植物性プランクトンや藻類の重要な栄養素であるため、それが多く放出されると植物性プランクトンや藻類の大繁殖を招き、富栄養化という水環境汚染に繋がってしまうのです。

なお、酸化作用で2価の鉄が3価になって水溶性が下がったのならば、酸化作用の逆の還元作用を利用すれば鉄の水溶性を高めて除去が可能になるのではないかとも考えられますね。実際、還元剤は鉄さび汚れ除去に用いられています。またシュウ酸は還元作用のある酸なので鉄さび汚れに強いのだとも考えられます。

このように、色々と複雑な要素が絡み合っていて、非常にもどかしい思いはするのですが、単純に「アルカリの汚れだから酸で中和」という説明では対応できない奥深さを備えています。

【5】 酸・アルカリ洗浄を理解する上での注意点
(1)中和の状態が一番取れにくい
洗浄理論から見た洗浄の酸・アルカリ中和説の問題点は、汚れが中和の状態と酸側またはアルカリ側に偏った状態と、どちらが洗浄に有利かという点です。中和説では酸側またはアルカリ側に偏った状態が取れにくく、中和した状態が洗浄しやすいということを前提とします。しかし、この前提が洗浄理論の面からは誤りだということになります。実は中性の状態が一番汚れは安定しており、水にも溶けにくい状態です。例えばタンパク質は等電点が4.5~5.5程度の弱酸性のpHにおいて電気的性質を持っていないで、それより酸性側ではプラスの電気を有する陽イオン性を帯び、等電点よりもアルカリ側ではマイナスの電気を有する陰イオン性を帯びることになります。つまり、等電点がタンパク質に関しては中和された状態であるといえます。

私たちの皮膚等のタンパク質は、この中和した状態で一番安定です。ですから弱酸性の条件で皮膚を洗えば、皮膚の傷みが少なくなるのです。これをアルカリ側の条件で洗浄すると、皮膚蛋白は陰イオン性を帯びます。すると、タンパク質の細胞間に陽イオンと陽イオンに引き寄せられた水分子が入り込み、皮膚は膨潤することになります。アルカリの度合いが強くなると、更に皮膚の陰イオン性は大きくなり、皮膚中に水分子が入り込んで最終的には皮膚は溶けてしまうことになります。このように、中和された状態から外れれば外れるほど、その物質は水に溶けやすくなって洗浄しやすくなるのです。

(2) 脂肪酸の中和は例外扱い
しかし、先に脂肪酸は汚れが酸であり、アルカリで中和して除去すると述べました。しかし、脂肪酸をアルカリで中和して除去しやすくなるというのは例外的なものなのです。脂肪酸はR-COOHで表されますが、その一部がR-COO-とH+に電離することによって、酸としての性質が現れるのです。この構造は酢酸と同じですが、酢酸ではRの部分がCH3-と短いのですが、脂肪酸の場合はRの部分(アルキル基)がC12H25-、或いはそれ以上の大きな状態になっています。このRの部分が大きくなると、その物質は油の性質が大きくなって水に溶けにくくなります。また、脂肪酸は酸といっても弱い酸です。R-COOHの一部がR-COO-とH+に電離し、その電離したH+が酸として働くことになるのですが、電離するのはごく一部で大部分はR-COOHの電離していない状態です。R-COO-の形は陰イオンです。分子は構成要素の原子の中の陽子の数と電子の数が釣り合って電気的なバランスが保たれていますが、イオンは陽子と釣り合うよりも電子が1つ、2つ、3つほど多すぎるか、少なすぎる状態です。なぜ、そんなバランスを欠いた状態になるのかというと、原子核(陽子と中性子)を取り巻く電子の軌道には安定な状態とそうではない状態があり、その軌道の状態を安定にするために電気的なバランスを犠牲にしたのがイオンだと考えてください。

一方、水分子はH2Oは分子として安定していますが、Hは電子を放り出したい性質が、Oは電子を受け入れたい性質が強いため、結合した状態でもHの部分には電気的なプラスの性質が、Oの部分には電気的なマイナスの性質が残っています。つまり、水分子の中に電気的にプラスの性質の部分とマイナスの性質の部分が存在するのです。陽極と陰極をもった磁石のような状態だと考えてください。この磁石のような状態の物質は、一般に電気的にプラスの性質を持った物質、或いはマイナスの性質を持った物質に引き寄せられることになります。物質がプラスの電気的性質を有している場合は水分子の中のマイナスの電気的性質を有している酸素の部分が引き寄せられ、物質がマイナスの電気的性質を有している場合は水分子の中のプラスの電気的性質を有している水素の部分が引き寄せられるためです。つまり、イオン性の物質は水分子を引き付ける性質が強くなるのです。

上記の理由により、R-COOHがR-COO-になると水を引き寄せる力が強くなって水に溶けることができるのですが、大きなサイズのRをもったままで電離していない状態のR-COOHは水にほとんど溶けることができません。これが脂肪酸汚れなのです。

酸性やアルカリ性の物質というのは本来水に溶けやすい性質があります。水に溶けて水素イオンや水酸化物イオンを放出するのですから、その物質自体もイオンになります。すると水に溶けやすい状態になっているはずです。脂肪酸の場合は酸といえども弱酸で、電離する割合がごくわずかで大部分が電離していない状態であること、しかし中和によって塩になり、ほぼ完全に電離した状態に変わるために水溶性が高まるという背景があります。汚れの除去メカニズムの中でも、かなり特殊な事情が伴っているというように考えたほうが良いでしょう。

なお、中和というのはpHが中性の7になることではありません。R-COOHから出るH+がOH-と反応してH2Oに変わるのが中和です。実際にこの中和反応が完了した際に、R-COOHはH+を放出することができる酸の状態から、R-COONaに変化します。この形ではH+を放出できないので酸ではなくなりました。しかし、R-COONaのような塩は強電解質でありR-COO-とNa+に完全に電離していますが、R-COO-の部分は弱酸であるために一部でH2Oを加水分解して次のような反応を引き起こします。
 
 R-COO- + H2O ⇔ R-COOH + OH-
 
この平衡状態のため石けん水溶液はどうしてもアルカリ側に偏るのです。中和というと酸性でもアルカリ性でもない中性の状態になることを連想しがちですが、脂肪酸の中和の場合はアルカリ性になるのです。そして、汚れ本体の脂肪酸はイオン性を帯びることになり、水に溶けやすくなります。

通常、酸やアルカリというのは水に接触するとH+を放出する、或いはOH-を放出するような物質を指しますが、そのような物質は水に接触するとイオン化するのでそれ自体が水に溶けやすく、頑固な汚れにはなりにくいものなのです。脂肪酸の場合、分子が大きいので水に溶けにくいということと、中和反応で水に溶けやすい塩になるという特殊事情が重なったために、酸性の汚れがアルカリで中和して除去されるという現象に結びついたのです。例外として扱ったほうが好ましい事例ですね。

(3) 酸と酸化の関係(上級編)
先に、酸と酸化の関係で、酸はH+に関係するもので、酸化は酸素(O)に関係するものなのでまったく異なると説明しました。しかし、実はもう少し高いレベルでも両者を混同してしまう原因があります。その点について整理しましょう。

酸と塩基の定義として代表的なものには、①アレニウスの定義、②ブレンステッドローリーの定義、③ルイスの定義が挙げられます。アレニウスの定義では水溶液中で水素イオン(H+)を生じる物質が酸で水酸化物イオン(OH-)を生じる物質が塩基とします。ブレンステッドローリーの定義では水素イオンを相手に与えることのできる物質が酸、水素イオンを受け取ることができるのが塩基だとします。ルイスの定義では電子対を受け取る物質が酸で電子対を与える物質が塩基だとします。アレニウスの定義やブレンステッドローリーの定義は、酸性・アルカリ性を示すpHとの関連性も分かりやすく理解しやすいのですが、ルイスの定義になると電子が云々と出てきて厄介ですね。

一方で酸化・還元の定義については、酸素を与える(酸化)・酸素を奪う(還元)という酸素の出入りで表現するもの、水素を奪う(酸化)・水素を与える(還元)とする水素の出入りで表現するもの、そして電子を放出させる(酸化)・電子を獲得させる(還元)との電子の出入りで表現するものなどがありますが、化学の世界では基本的に電子の出入りで表現することを基本とします。

すると、酸化・還元では電子が関与するのが基本だし、酸と塩基についても電子の関与する考え方がありました。その関係はどうなるのかという疑問が生じます。これを、筆者は酸と酸化の関係の上級編と名付けています。

さて、電子に関連する酸化・還元と酸・塩基の定義について、今一度まとめなおしてみましょう。酸化は電子を放出させる反応で、還元は電子を獲得させる反応。ルイス酸は電子対を受け取る物質でルイス塩基は電子対を与える物質です。酸化と酸の定義を比べると、酸化は電子を放出させる反応でルイス酸は電子対を受け取る物質です。酸化剤は他の物質から電子を放出させる物質で、ルイス酸電子対を受け取る物質とのこと。電子を放出させて受け取るということで、両者は同じ働きをするようにも思えます。しかし、このように考えるのは間違いです。

注意深く見ると、移動する対象は酸化・還元では電子、酸・塩基では電子対となっています。酸化・還元では分子やイオンから電子が飛び出て他の分子やイオン等に入り込む反応です。一方で、酸・塩基反応は電子対を有した分子やイオンが電子対を受け入れることのできる分子やイオンに結合する反応です。結合した後は、余った電子が移動して結合が切れたり繋がったりと反応が進んでいきますが、電子が空間を移動する酸化・還元反応とは異なるものです。

このように、酸と酸化は語感的にも関連性がありそうで、電子の移動といった現象に関連して混同しそうですが、根本的に異なるものだと理解する必要があります。但し、奥には奥があり、「○○の酸化反応を促進するために硫酸酸性の条件下で・・・」のような表現も出てきます。酸と酸化は異なるものですが、相互に関連しあう場合があるということは心に留めておいてください。
 
(4) 結局中和説の何が問題か?
汚れの種類に応じて酸とアルカリのどちらを使うべきか、ということを語呂合わせのように印象づけるには酸・アルカリ中和説は非常に便利です。油汚れの中には脂肪酸という立派な酸が含まれています。またカルシウムはアルカリ土類金属というアルカリを強烈に印象付ける元素グループに属します。油汚れを酸性汚れ、カルシウムや鉄さび汚れをアルカリ性汚れとして印象付けるのは非常に容易です。

但し、化学的な用語とは異なる意味で使っているという点は絶対に把握しておくべきでしょう。化学的な意味合いでの中和反応であれば、洗浄剤に用いる酸の種類やアルカリの種類はあまり重要な要素だとは考えられなくなります。脂肪酸の中和の場合はこの考え方で問題なく対処できますが、それ以外の場合は、酸やアルカリの種類によって適するもの、適さないもの等の区別があります。

台所のこびりついた油汚れに重曹やセスキ炭酸ソーダなどの弱いアルカリを用いるのは、実は非常に効率の悪い方法です。金属汚れの除去にとってどの酸を選ぶかという点は非常に重要なポイントになります。単純に「酸であれば」という考え方では対応できないのがカルシウムや鉄さび汚れの酸洗浄なのです。またクエン酸を用いて水垢汚れ除去をしようとして、長時間反応させたために不溶性物質を生成してかえって汚れをひどくするなどの事故もあります。

掃除・洗濯の科学の入門時の初期段階では「酸・アルカリ中和説」は使えるとしても、金属汚れには酸、有機汚れにはアルカリという関係が理解できたなら、できるだけ早く「実は化学的には汚れは酸性でもアルカリ性でもなく、中和でもない」ということで、個別の汚れ除去メカニズムを考えていくというステップが望まれるでしょう。

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大矢 勝
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